先日、この本を読み始めました。今も読んでいる最中です。
「シュレーディンガーのジレンマと夢」
シュレーディンガーという人は、20世紀前半の量子学の研究者です。
その人と量子論のお話です。
ちなみにおことわりですが、
量子論については未だ解明されていない点があり、色々な説がありますが、
量子論について議論する気は全くない事だけご承知下さい。
私はこの分野に関しては、本やテキストを読んでいるだけのただの素人です。
「
シュレーディンガーの猫」という話は聞いた事がある人がいるかと思います。
放射線物質の近くにガイガーカウンターを設置し、ガイガーカウンターが作動すると青酸カリウムの入った瓶が割れる、
という箱形の装置に猫を閉じ込めた時、猫の生死は箱の中を確認するまで分からない、
つまり
猫は生きている状態と死んでいる状態が重なり合った状態である。
ってヤツです。
精密に言うと、この表現を使って、
「電子は、観測されるまで存在する状態と存在しない状態が重なり合った状態である。統計、確率で状態を表す。」
という量子論を説いたグループ(
コペンハーゲン派と言います、特にボーア、ボラン)に対して、
シュレーディンガーの猫の理論で
「箱の中の猫が、観測されるまで生きている状態と死んでいる状態が重なり合っている、んなバカなことあるか」
と批判したのです。
しかし、実際のところ、この「シュレーディンガーの猫」の解釈は未だ明らかになっていません。
さて、この量子論ですが、理系を専攻した人、特に物理と化学を専攻した人はこの壁にぶつかった経験が多いかと思います。
私も大学時代、意味が分からなくて大嫌いでした。最近ようやく少しずつ理解してきました。
それで思った事は、
「量子の世界は物理学者の空想と理論で繰り広げられる、神秘的で夢のある、ステキな世界だ」
と言う事です。
量子は確認できない。確認するには量子を止める必要がある。でも、量子を止めると正確な観測ができない。
そんな量子の世界、まだまだ私自身も勉強不足な部分が多々ありますが、ここでちょこちょこっと書いていこうか、と思います。
さて、まず
「量子って何よ。」ってトコだと思います。
量子ってのは微細な粒子の総称です。どれだけ微細か、というと肉眼では見えません。分子より小さいサイズです。
物質は分子で構成され、分子は原子で構成され、原子は原子核と電子で構成され、原子核は中性子と陽子で構成され、
そして更に小さくすると、クォーク、ひも状理論、超ひも状理論・・・。
最小単位は未だ明らかになっていません。
その分野の研究が量子論であり、量子力学であり、量子化学であり、量子物理であります。
事の始まりは18世紀か19世紀か忘れましたが、
光について。
光には粒子の性質もあり、波の性質もあることから、
「光は粒子である」という人々と
「光は波である」という人々が対立しました。
光の粒子の性質・・・例えば「等角度で反射する」
光の波の性質・・・例えば「等角度で反射する」「干渉(2つの波が強め合ったり弱め合ったりする)や回折(小さいところに入り込もうとする)の性質を持つ」
と言うところです。
実は「光が粒子である」とすると矛盾が発生する部分が幾つか出てくるので、「光は波である」というのが一般的と思いきや、
その反面で「光は粒子である」とする事で説明できる現象をあったりもします。
かの有名な、私も尊敬するアインシュタインは、
「光量子理論」という形で「光=粒子」として説明した事例があります。
光のエネルギーの理論である
「光電効果」[E=hν]がそれです。
「ある光を金属に当てると、金属から電子が飛び出す」という現象です。
当てる光の振動数が大きければ、飛び出す電子のエネルギーは大きくなるが、量は変わらない。
当てる光を強くすれば、飛び出す電子の量は多くなるが、エネルギーは変わらない。
と言うものです。
「光は波で粒子ではない」とすると、この現象は説明できなくなってしまう様です。
紫外線(=振動数が大きい)は日焼けの原因になる、対して赤外線(=振動数が小さい)は身体を暖め、浴び続けても、強くしても日焼けしない。
これは光を粒子としてみたとき、紫外線の方がエネルギーが大きいからです。
これを説明するにも、光を粒子として、光の粒子のエネルギーで考えないといけなくなります。
20世紀に入って、
「光は粒子と波の二面性を持つ」と言うようになりました。
今はどうなんでしょうか。この定義はネットで調べる限りでは変わりない様です。
こんなところから、量子論の議論が始まっていきます。
もうこの時点で色々混乱してきます。
今回はこんなところで。